こんにちは、cozyです!
NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』が始まりました!
かなり注目されているドラマで、また三谷幸喜さんが脚本を手がけており、初回から“三谷マジック”も炸裂しており、今後の展開にも期待が高まります。
大河ドラマは史実が題材となるため、その時代背景や史実の知識があるとより物語の理解も深まりますよね。
今回は尼将軍 『北条政子』に注目したいと思います。
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小池栄子は北条政子をどう演じる?
/#北条政子(ほうじょう・まさこ)#小池栄子
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突然現れた都出身の源頼朝に一目ぼれ。悩みの尽きない頼朝に寄り添い、弟・義時とともに献身的に支えていく。のちに尼将軍として君臨。#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/58AR1NIqet— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) December 6, 2021
北条政子はどんな人物?
出典:Yahoo!ニュース
北条政子は1157年に、伊豆(現在の静岡県)で役人をしていた北条時政(ときまさ)の長女として生まれました。
当時、父の北条時政は、京都から伊豆へと島流しにあった源頼朝を見張る仕事をしていました。その後、北条政子は源頼朝と恋愛関係になり、やがて2人は結婚します。
ところが、当時の源頼朝は罪人という立場だったため、北条時政は平氏の威勢を恐れ、2人の結婚に反対していましたが、半ば駆け落ち同然での結婚だったといわれています。北条政子の意志の強さを感じるエピソードですね。
北条政子は源頼朝との間に2人の男の子(源頼家、源実朝)と2人の女の子(大姫、乙姫)をもうけます。
その後、夫の源頼朝は1185年に鎌倉幕府を開きますが、1199年に亡くなります。北条政子は源頼朝の後を追って死ぬことを考えますが、2人の息子のことが気になり、思いとどまったと言われています。
源頼朝の死後、幕府を支えたのが北条政子でした。北条政子は出家して、尼将軍と呼ばれるようになります。13人の御家人に対して、源頼家を補佐するよう命じたのは北条政子でした。むろん、自らも源頼家を補佐し、幕府の安泰に努めています。
ところが、2代目将軍の源頼家は病にかかり後に暗殺され、3代目将軍・源実朝も1219年に暗殺されてしまいました。北条政子は息子を失うとともに、鎌倉幕府存続の危機を迎えます。
この時、北条政子は京都の公家からむかえた2歳の将軍の後見人となり、鎌倉幕府を支える決断をしました。天皇家との対立から起こった承久の乱の処理など政治にも関わりながら、1225年に亡くなります。
北条政子とは、意志の強い女性であるとともに、鎌倉時代のみならず日本の政治史上、傑出した政治手腕を持つ女性だったようですね。
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北条政子役は小池栄子でぴったり!
第1回の放送で、北条政子が小池栄子にとってハマり役だったという声が多く挙がっていました!
北条政子って実際に見たことないけど、小池栄子の北条政子感ってすごいと思う
#鎌倉殿の13人 pic.twitter.com/Sd39PEVEpu— 社畜のよーだ (@no_shachiku_no) January 9, 2022
小池栄子チャン 北条政子を演じるために生まれてきたような女性
— 本当に無理 (@pl0w0lq) January 9, 2022
北条政子役に小池栄子をキャスティングした時点で当たりは確定してると言っても過言ではないくらいのハマり方だな #鎌倉殿の13人
— せっきー@ドラマ実況垢 (@KO6IoFJdp7pjTab) January 9, 2022
北条政子はしっかりもので気が強くて、機転が効くイメージの人物であり、確かに小池栄子さんとのイメージにマッチしていますよね。
また、夫となる源頼朝役が大泉洋さんですので、北条政子扮する小池栄子さんに頭が上がらない様子が容易に想像でき、そのやり取りのおもしろさに期待が高まります(笑)
源頼朝の死後、尼将軍として幕政を扇動していく北条政子の力強さを小池栄子さんがどう演じていくのか、今後の物語が楽しみですね♪
源頼朝とのシーンは史実と違う⁉︎
出典:MSN
第1回の放送で、北条政子が初めて頼朝に挨拶し、名前を訊ねられた際には『北条時政の娘、政子でございます』と答えるシーンがありました。このやり取り、とくに不自然さは感じられませんが、実はこれこそが史実に反していたようです!
『北条政子』という名前は後世になってから彼女を特定するために付けられた歴史用語のようなもので、彼女が自分自身を『政子』と名乗ったことや、周りから『政子』と呼ばれていたことはないというのが史実となっています。
『政子』という名前は夫となった源頼朝の死後、朝廷が彼女に従三位という位を授けた際に公文書に記載する“名前”が必要だったことから、<北条時政の娘>という意味で付けられたものだそうです。つまり、源頼朝の生前には『政子』という名前そのものが存在していなかったのです!
北条政子自身は幼いころ、万寿や朝日といった名前だったという諸説があります。中世の女性は外向けには実名(幼名または諱)を名乗らないのが社会通念で、当時は武家の娘を姫や大姫(長女の意)といった肩書きで呼ぶのが一般的でした。近しい者以外は実際の名前を知らないのもごく普通のことだったといいます。
ドラマですからね、視聴者が分かりやすいような脚本にされているのだと思います。確かに「万寿」や「朝日」などと名乗られても、知識の乏しい一視聴者としては誰だか分からなくなってしまいます^^;
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まとめ
今回は『小池栄子が演じる北条政子はどんな人物?政子と呼ばれてない?【鎌倉殿の13人】』と題して、記事を書きました。
源頼朝扮する大泉洋さんとのコメディ感あるやり取りも楽しみであり、また尼将軍として幕政を扇動していく北条政子の力強さを小池栄子さんがどう演じていくのか、今後の物語も楽しみですね♪
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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