こんにちは、cozyです!
NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』が始まりました!
かなり注目されているドラマで、また三谷幸喜さんが脚本を手がけており、初回から“三谷マジック”も炸裂しており、今後の展開にも期待が高まります。
大河ドラマは史実が題材となるため、その時代背景や史実の知識があるとより物語の理解も深まりますよね。
今回はドラマの主人公 『北条義時』に注目したいと思います。
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北条義時はどんな人物?
出典:Wikipedia
北条義時(ほうじょう よしとき)は父親の北条時政(ほうじょう ときまさ)、姉の北条政子(ほうじょう まさこ)とともに源氏を助けながら鎌倉幕府の屋台骨を築き、 頼朝亡き後に鎌倉幕府の実権を握っていった人物です。
北条義時の生まれ
北条義時は1163年、現在の伊豆の国市江間地区に、父・北条時政、母・伊東氏の娘(名前は不明)の次男として生まれます。兄は宗時、姉はのちに源頼朝の妻となる政子がいます。
江間小四郎(えま・こしろう)、江間四郎(えま・しろう)とも呼ばれていたようです。次男なのに、四郎と呼ばれた理由は不明で、父・時政が四郎と呼ばれていたことにちなんだ名前と考えられています。
実際ドラマでも、 『小四郎(こしろう)』と呼ばれていて、歴史に疎い私には、初めは誰のことを言っているのか分かりませんでした^^;
北条義時の功績
鎌倉幕府勃興
北条義時の青年期に源頼朝の挙兵がありました。父である北条時政の活躍や梶原景時(かじわら かげとき)の逸話は有名ですが、義時の目立った働きは史実としてありません。
また、源義経(みなもとのよしつね)が活躍したいわゆる源平合戦に義時も参戦していますが、ここでも義時の目立った活躍の史実はありません。つまり、様々な御家人や吏僚が活躍した鎌倉幕府勃興時に、青年だった義時は印象の薄い武将人物であったと言えます。
十三人の合議制、比企の乱
ところが頼朝の死後、義時の中年期からその活躍は目覚ましいものになります。
第2代将軍「源頼家」の時代に有力御家人による合議制、いわゆる 「鎌倉殿の13人」制度にその名を父である北条時政とともに名を連ねます。
13人の御家人たちは決して仲が良かったわけではありません。例えば、二代将軍頼家に娘を嫁入りさせていた比企能員(ひき よしかず)は北条氏の台頭を面白く思っていませんでした。
将軍家の権力が、13人の合議制で削られてしまうわけですから当然です。
頼家が病気になったことをきっかけに、頼家の領地を頼家の子どもたちで分割することが13人の合議制で決定されました。これを知って頼家は大いに腹を立てます。
そこで頼家は、妻の父親である比企能員に時政を征伐するように命じました。それを知った義時はすぐさま 比企一族を討ち滅ぼし、この際に、頼家の子どもも殺害してしまいます。頼家も北条家によって追放されました。
鎌倉幕府第2代執権
三代将軍についたのは頼朝の子どもである源実朝(みなもとの さねとも)です。義時の父、時政は 政所別当(まんどころべっとう)に就任して執権(しっけん)となり、政治の実権を握りました。
北条氏は比企氏以外の有力御家人たちの排除を続けましたが、とうとう時政と義時親子が対立するときがやってきます。
時政が三代将軍源実朝を殺害しようとした際、義時は実朝側に付き、北条時政の企てを阻んだのです。この出来事により、時政は失脚。執権の地位は義時に移りました。
義時は時政が就いていた政所別当だけでなく 侍所別当(さむらいどころべっとう)も兼ねるようになり、執権としての地位を確固たるものにします。
承久の乱
義時が、北条家の地位を盤石なものにしたのが、 承久の乱(じょうきゅうのらん)です。
頼家も実朝も暗殺されてしまい、頼朝直系血族は絶えてしまいました。そこで義時は京都の天皇家から将軍を迎えようとするのですが、朝廷の権力拡大を目論む後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)にこれを拒否されてしまいます。
後鳥羽上皇は天皇家の領地をまとめ、強力な院政を敷いていたのです。鎌倉での北条氏の台頭を恐れた後鳥羽上皇は義時追討の命令によって武将に号令をかけ、討伐軍を結成します。
そこで義時は姉の政子と協力して、鎌倉幕府の武士たちを説得。協力して後鳥羽上皇軍を打ち破り、関わった 上皇三人を島流しにしました。
『鎌倉殿の13人』の頂点
承久の乱で北条氏が勝利したことによって、天皇家の権力は弱体化し、鎌倉幕府の支配は全国に及ぶことになります。
以後、鎌倉幕府の将軍は摂関家や皇室から迎えられるようになりますが、どれも形式的な存在で、 鎌倉幕府の実権は北条氏が握ることになります。
結果、義時はかつての 「鎌倉殿の13人」の頂点にのぼりつめ、武家社会の基礎、そして北条執権体制を確立しました。
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北条義時の性格
義時は頼朝から厚い信頼を寄せられており、頼朝は義時のことを「他日必ず子孫の補佐たらん」「義時を持って家臣の最となす」と称していたとも伝えられています。
「他日必ず子孫の補佐たらん」というのは、 「いつか必ず私の子孫の補佐になるであろう」という意味だそうです。
頼朝に信頼されていた義時はどのような性格だったのでしょうか。
残された文書などから推測すると見えてくるのは、 義時の時流の見る目の鋭さです。
義時は常に 「勝ち馬」を当てています。源氏と平氏の争いの際は、不利だと思われていた源氏に付きます。また、鎌倉幕府内に権力争いがあった際も、強い側に付きました。
頼家でなく実朝を選んでもいたし、父親が実朝を殺害しようとしたときは父親を排除しています。家族でも主君でもなく、強きを見極め、地位を確立していったのです。
そこには、時流を見る目に加えて、冷静な判断力、そして選んだ側を必ず「勝ち馬」にすることができる実力と強い意志があったと思われます。
義時の青年時代の史実はほとんど残っておらず、ドラマにおいても、存在感薄く、周りの人たちに振り回される役と紹介されています。ゆくゆくは『鎌倉殿の13人』の頂点に立つ人物となるのですから、当初は権力などに興味のない純粋な青年がどのように成長していくのか、というのが注目ポイントのひとるとなるのでしょう。
権力争いの真っ只中に入り込んでいくので、性格がひん曲がっていってしまうのか、それとも何かを守るために苦悩の末、選択した結果権力を得ていくのか…
今後の展開が楽しみですね♪
小栗旬はどう演じる?
出典;デイリースポーツ
北条義時を小栗旬さんはどのように演じていくのでしょうか?
史実に基づいていくのか、それともオリジナルのキャラクターが描かれていくのか…
撮影に入る前に監督陣とお話しした時、この作品はしばらく「主役って誰なんだっけ?」って思われた方が面白いと思うんですよね、って言われて。自分としても、それはものすごくいいなと思いました。あくまで、この『北条義時』という人は、はじめのころは埋もれている存在というふうに見えていた方がいいのかなと思って。
引用:NHK
義時はタイトルにもなっている『鎌倉殿の13人』となるまでは、あまり史実が残されていないようです。つまり、それまでは歴史に連ねるような人物像でなかった、のではないかと思われます。
なので、物語の序章となる部分は、上記のインタビュー記事のように、 主人公なのに主人公でないように演じられていくのでしょう。
確かに、他のキャストも豪華俳優陣ですし、源頼朝や北条政子など、歴史上もっと有名な人物たちが近くにいるわけですから、北条義時のポジションはそういった感じが適していると言えますね。
また、人が成長していくさま、変化していくさま、というのは見ていて面白いものなので、ドラマとしてもそういった展開になる方が視聴者も楽しめるものとなりそうですね♪
――あらためて、小栗さんが演じている北条義時とはどのような人物か教えてください。
【小栗】今回の大河ドラマで描かれる義時は、もともと自分の置かれた環境にそれほど不満を抱いていない青年でした。戦には興味がなく、米蔵で米の勘定を楽しむような平凡な人物です。
ところが、源氏・北条家が平家と対立している関係から、義時は次第に権力抗争へと巻き込まれていきます。その後、源頼朝の近くで政治のあり方を学び、やがて計算高くて清濁併せのむ人になっていく。真っ直ぐな性格だった男が、一族を守るために権力に手を染めていくわけです。歴史活劇としては非常に面白いのですが、正直にいえば、少し悲しい気持ちもありますね。
引用:dmene ニュース
インタビューで小栗旬さんが北条義時の人物像をこう語っているところをみると、やはり義時が権力争いに巻き込まれる中で変化していくさまを演じるようですね。
史実が少ない人物かもしれないですが、 義時は比較的、史実に近い人物像で物語は描かれていくようですね。
『鎌倉殿の13人』になる前のことはほとんど分からない人物なので、その時の描かれ方によって、その後の印象が大きく変わってきそうですよね。
特に、源頼朝とどう出会い、どう関わっていくのか…
私としては、そこがとても重要なポイントに感じています。
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まとめ
今回は 『史実で北条義時はどんな人?小栗旬はどう演じる?【鎌倉殿の13人】』と題して、記事を書きました。
色々調べていると、今後の展開が益々気になってしまいますね。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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