大泉洋は源頼朝をどう演じる?北条義時との関係は?【鎌倉殿の13人】

源頼朝を演じる大泉洋 俳優
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こんにちは、cozyです!

 

NHK大河ドラマ 『鎌倉殿の13人』が始まりました!

かなり注目されているドラマで、また三谷幸喜さんが脚本を手がけており、初回から“三谷マジック”も炸裂しており、今後の展開にも期待が高まります。

大河ドラマは史実が題材となるため、その時代背景や史実の知識があるとより物語の理解も深まりますよね。

今回は鎌倉幕府の初代征夷大将軍 『源頼朝』に注目したいと思います。

 

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大泉洋は源頼朝をどう演じる?

源頼朝はどんな人物?

源頼朝の画像出典:エキサイトニュース

「幕府」という言葉は、ほとんどの人が聞いたことがあるでしょう。 幕府とは、朝廷から征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)に任じられた武士がひらいた武家政権のことをいいます。現代でたとえると、征夷大将軍は内閣総理大臣、幕府は政府に近いかもしれません。

幕府を初めて作ったのが 源頼朝(みなもとのよりとも) です。

では、武家政権の基礎を作った源頼朝とはどのような人物だったのでしょうか?

源頼朝源義朝(みなもとのよしとも)の三男として、現在の名古屋市熱田区(あつたく)に生まれました。源頼朝が生まれた清和源氏(せいわげんじ)に属する血をつぐ武士の家柄で、特に大阪に拠点を置いた河内源氏(かわちげんじ)と呼ばれる一派でした。この中には、武田信玄(たけだしんげん)の先祖にあたる甲斐源氏(かいげんじ)や、室町幕府を開いた足利氏の始祖となる人物もいます。

源頼朝は10代の頃、父の源義朝が平治の乱で敗北したことがきっかけで、 平清盛(たいらのきよもり)によって伊豆へ流されてしまいます

治承(ちしょう)4年(1180年)、以仁王(後白河法皇の子)が平氏の追討(ついとう)を呼びかけると、これに従って挙兵しました。 平氏を次々と破り、上方に兵を送ってついに 滅亡にまで追い込みます。

その後は鎌倉に武士政権をひらき、続いて奥州藤原氏(おうしゅうふじわらし)を滅ぼして東日本を支配下におさめます。1192年、征夷大将軍となり、名実ともに鎌倉幕府が成立します。 源頼朝の死後、政権は妻である北条政子の一族・北条氏が実権を握りますが、それでも長年続いてきた天皇・貴族の政治にかわり、全く新しい武家政治を始めた人物として、高く評価されています。

 

一方で源頼朝といえば、非情な面でも知られています。平家滅亡の立役者となった実弟の源義経を討ち、その子供まで殺したほどの徹底ぶり。もう一人の弟・源範頼も謀反の疑いをかけられ伊豆に流されています。

そういった側面もあって、 歴史上の人物の中では人気がない人物でもありますね。

 

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コメディ感が強い気もするが、大丈夫⁉︎

鎌倉殿の13人の1シーン

源頼朝といえば、征夷大将軍であり鎌倉幕府を開いた英雄でありますが、そこに至るまでの平家との因縁や弟義経との確執、妻政子との物語など 歴史の教科書では語られない人間頼朝を素晴らしい共演者の皆々様と共に丁寧に演じていけたらと思っております」
引用:Yahoo!ニュース

 

三谷幸喜さんの脚本なだけあって、コメディ感のあるシーンがいっぱいありそうですね。

『真田丸』でもそういったシーンが多かったようですが、キャラクターもあってか、大 泉洋さんにはコミカルな演出をさせたいようですね^^;

 

大泉さん:
とてもおもしろいドラマになっているので、とっても和むんじゃないかなと思います。大河ドラマでこんなに笑えるってことはないと思います。どうしてこんなに、大河ドラマでおもしろくしなきゃいけないんだろうって。あの人は大河ドラマという壮大な設定をもらってずっとボケてるというか、なんかずるいよね。大河ドラマなのに笑い。大河で何してるんですかみたいな。何かそういうおもしろさを感じますね。
「(脚本家が)三谷さんでなきゃ絶対OKでないでしょ」って感じなんだよね。セリフとかも。だって、源頼朝が「ちょっといいかな」って言うんですよ。絶対に言わないじゃないですか。源頼朝が「よし、挙兵するぞ。兵を集めろ」と言って、うわっと盛り上がって。「兵はどうなった?」と言って、「はい、これだけ集まりました」って。めっちゃ少ないんですよ。だけど、みんな「これは幸先いいぞ。やったな」って言った時に頼朝が「ちょっといいかな」と。絶対ないと思うんですよね。
引用:NHK

大河ドラマで、これだけコメディ感があると賛否両論があるようですが、大泉洋さん自身も疑問があるようですね。

でも、これが三谷幸喜さんの脚本の醍醐味でもありますよね。

出だしはコメディ感満載でしたが、物語が進めば、権力争いなどドロドロした内容になってきます。また 源頼朝は非情な面もある人物なので、今後そういったシーンもあると思います。コメディ感とのギャップも見どころのひとつかもしれないですね。

初回の放送でも「祐親を殺せ…」というシーンでは、キリッとシビアな演技を観せた大泉洋さん。物語が進めば、頼朝のより非常な面が出てくると思いますが、それをどう演じるのか。また、そんな雰囲気の中、コメディ感をどう折り混ぜてくるのか、見ものですね♪

 

 

 

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源頼朝と北条義時との関係は?

鎌倉殿の13人の1シーン出典:マイナビニュース

源頼朝北条義時のことを大変気に入っていたようで、 『吾妻鏡』の中で「わが子孫を守ってくれるに違いない」とまで絶賛しています。

なぜ北条義時がこれほど厚遇されたのでしょうか?

一つは 源頼朝の妻の弟だからです。『吾妻鑑』には、源頼朝は平家方に対する挙兵に際し、真に大事なことは北条時政にしか話さなかったとあり、源頼朝は北条氏を信頼し重んじていたようです。そのため、北条家の親族だから、ということが気に入っていたひとつの理由と考えられます。

ただそれだけではなく、源頼朝北条義時を絶賛するに至った要因があったようです。それは 源頼朝の不倫だったようで、こんなエピソードがありました↓

寿永元年(1182)11月、頼朝亀の前という女性を伏見広綱という武士の邸に住まわせて不倫をしていた。妻・政子には内緒にしていたのだが、政子の継母・牧の方政子に告げ口してしまう。
これに怒った政子は、牧の方の父・牧宗親に命じて、伏見広綱の邸を襲撃・破壊させ、亀の前らに恥辱を与えたのである。広綱亀の前を連れて、大多和義久の家に避難する。
数日後、大多和邸を訪問した頼朝は、襲撃した宗親を難詰し、彼の髻もとどりを切ってしまうのだ。これは今風に言えば、衆人環視の前でパンツを下されるような辱めである。宗親は泣きながら、邸を飛び出していったという。

この不倫騒動に政子の父・北条義政は激怒し、源頼朝に一言の挨拶もなしに、鎌倉から伊豆に帰ってしまったそうです。その時、北条義時父・北条義政にはついていかず鎌倉に残りました。

そう 北条義時は、実父である北条時政よりも源頼朝を優先したのでした。時政の下国を不快に感じていた源頼朝は、北条義時を「私の心を察し、実父に従わなかった」ので褒めているのです。

さらに、忠誠心だけでなく、先を見る力と適切な行動ができるイメージを源頼朝に与えたに違いないなく、「わが子孫を守ってくれるだろう」と源頼朝は感じたと言われています。

エピソード的には、 北条義時は「ただ何もしなかった」と思われそうですが、実際は源頼朝の心情を見越しての“不動”であったということです。そんな先を見越した 「洞察力」がある人物と認めたからこそ、源頼朝北条義時を大変気に入っていたそうです。

 

きっと、北条義時源頼朝に恩義があっての行動だったのかもしれません。それだけでなく、源頼朝についていた方が後々自分にとっても都合が良いと、先を見越していたのかもしれませんね。

まあ、きっかけが“不倫”とは何とも破廉恥なエピソードではありますね^^;

 

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まとめ

今回は 『大泉洋は源頼朝をどう演じる?北条義時との関係は?【鎌倉殿の13人】』と題して、記事を書きました。

 

今後、シビアなシーンがどう演出されるのか見どころですね♪

また 源頼朝と北条義時の関係はどう構築されていくのか楽しみですね。

 

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最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

 

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